光を効率的に収集する光学システムの能力は、スループットやエテンデュ(Etendue)に大きく影響を受けます。ラマン分光システムは、サンプルが均質であれば、小さなレーザースポットと同程度のアパーチャーで高分解能のスペクトルを収集することができます。しかし、実際はもっと複雑です。混合サンプル中の全成分を同定するためには、より広い面積での測定が必要となります。そのためには、レーザーのスポットサイズを大きくして、より広い範囲をカバーすることが求められます。しかしながら、分解能を上げるにはアパーチャーを小さくする必要があり、ラマン光を集めにくくなるため、感度が低下してしまいます。解決策として小さなアパーチャーを用いて、集光したレーザーを試料上で素早く移動(ラスター)させ、試料の広い範囲から情報を収集する手法があります。
メトロームラマン社が開発したオービタル水平走査テクノロジー(ORSTM)は、このような原理を応用して開発されたものです。
ORSは、低解像度、低感度、サンプルの劣化といった問題を解決し、サンプルの広い面積を測定するメトロームラマン社独自の技術です。本記事では詳しくさまざまな用途を紹介します。
図1は、オービタル水平走査テクノロジーを簡略的に表したものです。これは、集光したレーザービームを広い範囲にすばやく移動させる技術です。
ラマン分光法は、高品質のデータが不可欠なさまざまな用途や業界で使用されています。ORSを備えたメトローム社のMIRA(Metrohm Instant Raman Analyzer)およびMISA(Metrohm Instant SERS Analyzer)の機能を、薬局方、原料の同一性確認、SERS(表面増強ラマン散乱)の三つの観点から紹介します。
欧州薬局方(Ph.Eur, EP)は、医薬品や原材料の製造、品質管理、およびそれらの検査に使用される機器に関する基準です。ラマン分光計は、使い勝手がよく、迅速で非破壊測定が可能であるため、医薬品の品質管理に使用される例が増えてきました。新たに改訂された章(Ph.Eur.2.2.48 Raman Spectroscopy)では、ORSについても言及されています[1]。
«When using Raman spectroscopy [...] care must be taken to ensure that the measurement is representative. This can be achieved by, for example rotation of the sample, performing multiple measurements on different preparations of the sample, using orbital raster scanning (ORS) [...]»» [1]
医薬品は、賦形剤と医薬品有効成分(API)から形成され、徹底した混合比でつくります。ほとんどのラマンシステムのビーム径は小さいため(40-200 μm)、錠剤の粒子径が小さい(平均36-39 μm)ときは、どの範囲をサンプリングするか問題になることがあります[2]。ORSを搭載したMIRAおよびMISAは、直径2000 μmの円周上にレーザーを均一照射し、非常に短時間で広い領域を調べ、1回のスキャンで全成分を測定することができます。
785 nm励起レーザーと大きいエテンデュの特許取得済み「フリースペース」スペクトログラフ設計の組み合わせにより、MIRAおよびMISAのシステムは、低いレーザー出力で高分解能のスペクトルを収集します。例えば、785 nmレーザーを搭載したMIRAとMISAでは良好なラマンの散乱ピークを取得するには出力は50 mW以下で十分ですが、1064 nmレーザーのラマンシステムでは長波長による低いS/N比とラマン散乱の減少を補正するために420 ± 30 mWの高出力が必要になります。低出力レーザーとORSの組み合わせは、高濃度着色物質や揮発性物質のような熱に繊細な物質の分析に最適です。
ラマンによるポリスチレンの同定
プラスチックボールペンのラマン分析において、1064 nmレーザーと785 nmレーザー(MIRA XTR DS)のラマンシステムを比較すると、低出力レーザーとORSを組み合わせた場合の利点がよくわかります(図2)。
図3の左のクレーターは、出力100%の1064 nmレーザーで試料を測定したときにできたものです。出力60%のレーザーで行った2回目のテストでも同じ結果が得られ(図3の右)、どちらのテストでも試料を同定することはできませんでした。
MIRA XTR DSは、サンプルに損傷を与えることなく高品質のデータを収集し、HQI=0.91でプラスチックをポリスチレンとして同定しました。これは、サンプルスペクトルとライブラリスペクトルの間に高い相関関係があることを示しています。
ラマンによるポリフェニレンエーテル(PPE)の同定
MIRAを使用してサンプルを非破壊で同定した二つ目の事例を図4に示します。
1064 nmレーザーを使用した一回目の実験では、いくつかの同定可能なラマンピークがありますが、低解像度のスペクトルといえます。二回目の実験は、試料が焦げ(図5)、同定可能なスペクトルは得られませんでした。
これらの結果は、低出力の785 nmレーザーとORSによって同定可能なピークが得られたことを示します。
次の事例では、ORSによる広いエリアの測定が不均一試料の測定結果を改善する点に焦点を当てていきます。
P-SERSは、ナノ粒子が堆積した紙ベースの基板であり、ラマン散乱ピークを増強し、微量分析物を高感度で検出します。P-SERSは、ORSを搭載し、レーザー波長が785 nmであるMISAで分析ができます。
銀と金のコロイドから調製したインクを紙基板に印刷することで、紙繊維上にナノ粒子が不均一に分布します[3]。このSEM画像を図6に示します。
ORSあり/なしの測定データを比較することで、p-SERSを使用した際のORSの優位性がよくわかります。BPE [1,2-Bis(4-pyridyl) ethylene]を溶媒に溶かし、P-SERSストリップの印刷部分に直接滴下しました。このストリップをMISAでORSありとORSなしで5回ずつ測定を行い、分析しました(図7)。
図7に示すORSあり、なしのスペクトルの各セットは、どちらもBPEのラマン散乱ピークを持っていますが、スペクトルの安定性はORSありの方が高いことがわかります。ORSありは一度の測定で多数のシグナルスポットを平均化し、スペクトルを取得します。そのため不均一な表面の試料でも図7に示すような鮮明なスペクトルが得られます。ORSありのSERSシグナル強度のばらつき(5スペクトルセットの標準偏差=1.4%)は、ORSなし(標準偏差=10%)よりも大幅に小さく、試料から安定したデータを得る上でORSの能力の高さが確認されました。
すべてのメトローム社製ラマン分光計はORSを搭載しており、搭載していないラマン分光計に比べて三つの大きな利点が挙げられます。
- 非破壊でのサンプル分析:レーザースポットが同じ場所に留まることがなく、試料が焦げるリスクが低い。
- 不均一な試料でも再現性のある分析:サンプルの広い範囲からデータを収集する。
- 高品質のスペクトルデータ:照射スポットが小さく、解像度も高い。
[1] European Pharmacopoeia (Ph. Eur.) 10th Edition | EDQM - European Directorate for the Quality of Medicines https://pheur.edqm.eu/home (accessed 2021-11-08).
[2] Smith, C. J.; Stephens, J. D.; Hancock, B. C.; Vahdat, A. S.; Cetinkaya, C. Acoustic Assessment of Mean Grain Size in Pharmaceutical Compacts. Int. J. Pharm. 2011, 419 (1–2), 137–146. https://doi.org/10.1016/j.ijpharm.2011.07.032
[3] Yu, W. W.; White, I. M. Inkjet Printed Surface Enhanced Raman Spectroscopy Array on Cellulose Paper. Anal. Chem. 2010, 82 (23), 9626–9630. https://doi.org/10.1021/ac102475k